気仙沼市立大谷中学校と続く交流。
あの震災から9年がたちますが、大谷中との関係は「支援」から「交流」へと変わってきました。
震災のことや、まだまだ大変な思いをされている方々のことを忘れないためにも、
これからもこのつながりを大切にしていきたいと思います。
被害の大きかった岩手、宮城、福島3県で災害公営住宅は9割超が整備されています。
一方で、プレハブの仮設住宅には700人以上が住み、
避難生活を続ける人は全国で47,000人を超えているそうです。
このような状況であると改めて胸に刻みたいと思います。
大切にしたい「大谷っ子米集会」


2020年2月18日付 愛媛新聞(掲載許可番号:d20200220-004)
明日、3月11日。
三崎中学校でも哀悼の意を表するために、半旗を掲揚し、
午後2時46分に黙とうを捧げます。
気仙沼市立大谷中学校と続く交流。
心に残る「大谷っ子米集会」
中学3年生にとって、最後の大谷っ子米集会でした。


2020年2月17日付 愛媛新聞(掲載許可番号:d20200220-003)
明日、3月11日は県立高校一般入試。
1週間前に臨時休校になりましたが、3年生は家庭でしっかりと勉強をしていると思います。
一方学校では、生徒がいない中、3月17日の卒業式に向けて着々と準備を進めています。
9年前の2011年(平成23年)3月11日の東北地方もそうでした。
卒業式を明日に控え、一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、
10数時間後の卒業式に思いを馳せた生徒もいたことでしょう。
そして2時46分、あの未曽有の被害をもたらした東日本大震災が起こったのです。
信じられないような光景が次々とテレビから流れ
「復興に向けて、自分には何ができるか。」
という問いかけが同じ日本人である私たちにつきつけられたような気がします。
震災直後、三崎中学校や地域からは、毛布や衣類、義援金などと一緒に、
子どもたちの応援メッセージも送られました。
2011年6月、それらを受け取った気仙沼市の大谷中学校から返事が届きました。
そこには、卒業式の準備をしていた際の大惨事に現実を見失いかけた様子とともに
「三崎中からのメッセージを読む度に、安心感が得られます。
みなさんにもたいへんなことがあると思いますが、お互いにがんばっていきましょう。」
といったお礼や力強い言葉がつづられていました。
そのときから大谷中学校との交流が始まりました。
毎年、12月には三崎中学校からは自分たちで作ったいもやメッセージ、三崎中の写真を送っています。
大谷中学校からもメッセージや生徒が作った「大谷っ子米」が届きます。
このような大谷中学校との交流を通して、お互いが感謝の心でつながっているような気がします。
令和2年1月29日、毎年楽しみにしている「大谷っ子米集会」を行いました。

宮城県気仙沼市や大谷中学校についてのクイズを通して理解を深めた後に、
お米をおにぎりにしていただきました。
おにぎりを包む海苔も気仙沼から取り寄せました。
お米の甘みとともに、大谷中学校の生徒たちの思いも感じながらおいしくいただきました。
この大谷っ子米集会のことを新聞に投稿したところ、3回にわたって掲載されました。

2020年2月16日付 愛媛新聞(掲載許可番号:d20200220-002)

今日も運動場の草引きに、近所にお住いのTさんが来てくれています。
Tさんは長年、運動場内外、道路付近や町施設等の草引きをしていただいています。
以前、このボランティア活動の様子が、愛媛新聞にも取り上げられました。
Tさんは、「17日(火)で卒業する3年生のために、きれいな花道にしてあげたい。」
という思いで、作業をしていただいています。
学校は、様々な方に支えられているということを実感しました。
臨時休校になって初めての金曜日。
休校中の日課表では、15:00~15:50は「部活・体力つくり」になっています。
15:00になる頃、本校の卒業生と弟の男子生徒が運動場に現れました。
昨日と同じように、運動場を使用するお願いに職員室を訪れました。
2人で運動場を走り、キャッチボールや陸上(投的)練習をしていました。
運動不足にならないように自主練習に取り組んでいます。
来週もまだ休校が続きますが、体力作りもしっかり頑張りましょう!
